2003年10月怒江旅行PHOTOメモ by ガンシガガ さん

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1日目

昆明 →(寝台バス)
→ 六庫 →(ミニバス)
→ 福貢 →(ミニバス)
→ 貢山 →(ワゴン車)
→ 丙中洛


福貢にて。 リス族達の市。

2日目

丙中洛 →
(途中までトラック+徒歩)
→ 秋那桶


チベット自治区へ向かうチベタンの馬の行軍


怒江の両岸を繋ぐつり橋。ここまで車道あり。
ここから秋那桶までは徒歩で3時間の道のり。


山の中腹にある怒族の村 『秋那桶』
手厚い歓迎を受け、そこに一晩泊まることになる。

3日目 

秋那桶 →
丙中洛 →
貢山

移動日。 体中に赤い斑点ができる。それもただごとでない数の斑点ができ、体中が非常に痒い。WEBに載っていた日記によると同じように斑点が大量にできたようであり、彼らはそれを蚤などの虫刺されと記述してあったが、地元の人に聞くとそうではなく、現地の特殊な樹木の液に触れたり、それを用いた料理(現地特産のバター茶のようなものはもちろん、絞った油を使った料理でもNG)を食べても結構な確率でかかるそうなのだ。
4日目

貢山 →
福貢

 病院を訪ね、治療を試みる。容態は深刻らしく、点滴をうってもらう。かかった金は一人48元。本当に何もないシンプルな病院だった。ただし治療費は昆明のそれに比べ格段に安い。
 独龍江に行きたく、行けるかいろいろ駐車場のトラック運ちゃんに聞いてみたが、雲南省政府のお偉いさんが来るため、車が出られないのだという。またお偉いさんが来るため、なんとか道をその日までに開通させたという。もう道はつながっているのだ。諦めて福貢に移動。

5日目

福貢 →(ヒッチハイク)
→匹河 付近 →
知子羅
(途中まで登山。途中
トラックバスを拾う。)


路上で降りたときに出会った子供達は本当に素朴、純真。


知子羅。
1986年州都が遷都し、廃墟と化し、
1986年当時の町がそのまま残る。多くが空家。
現在地図上に載っていなく、わずかばかりの人が住んでいる。
宿はなく、好意で民家に泊まる。夜は半端ではなく怖かった。


知子羅で住む人々。大人の数の割に子供が多い。

6日目

知子羅 →(トラック)→
リス族の村(名称不明)
→(トレッキング)→匹河
→(ヒッチハイク)→六庫
→(バス)→ 片馬


怒江地域に根付く宗教はキリスト教。
その中でも最も有名らしい教会。
日曜日に来るように調整した。ミサに参加する為だ。 


教会内。 リス族の言葉でなにか書かれている。


時間になると沢山のリス族の人々が集まる。
彼らの言葉で歌を歌い、教えを説く。


終わると彼らは彼らの仕事をしに家路につく。

7日目

片馬 →(バス) 
→ 六庫 → (深夜バス)
→ 下関 (大理)


片馬の町。ミャンマー国境なのだがまったく国境の町
という感じがしない。ただ、木材が運び出されるだけの汚れた
工業都市という感じ。四川省人がやたら多く、危険な気配。


ミャンマーボーダー。

8日目

下関(大理)→(船)
白族の町(名称不明)→
大理古城→
下関→(鉄道)→昆明


旅行者に”超”有名な大理古城の湖の向かいにある
地元風俗が今に残る町。

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