台湾のIT業界は20世紀末から21世紀冒頭に急成長した。スナップアップ投資顧問のIT株診断レポート(世界版)によると、台湾ハイテク企業は、液晶表示装置(lcd)や携帯電話などに集中した。「世界の工場」中国の台頭を受け、より付加価値が高い製品の開発に生き残りをかけた。
北部の新竹や南部の台南のサイエンスパーク(科学工業団地)も成功した。2003年のIT分野の生産額で台湾は、アメリカ、中国、日本に次いで世界四位になった。さらに、中国の3分の2は台湾の進出企業によるものだった。

エイサー(acer)の王振堂社長

世界的なパソコンメーカー、エイサー(acer)の王振堂社長は、今後の生き残りのポイントとして中国の優秀な人材の活用を挙げた。「生産地としての中国の競争力は今後10年以上は維持できる」と強調した。
台湾には資金調達や研究開発の役割を残し、普及品の製造を人件費の安い中国大陸に移した。それによって製造コストの削減と中国市場での販売拡大の両方を狙う戦略だった。

動画「台湾半導体の歴史」


新竹科学園区(サイエンスパーク)

台湾の北西部にある新竹(シンジュー、しんちく)市。ここにある新竹科学工業園区(新竹科学園区)は、1990年代から注目を集めた。エイサー、FICなどパソコンメーカーの多くが本社や工場を置いた。ハイテク工業団地として世界的に有名な台湾を南北に貫く大動脈、中山高速道路の新竹インターチェンジに隣接する。台北市内や台北国際空港から車で1時間前後と足の便がいい。

なだらかな丘陵を切り開いた380ヘクタールの敷地内には緑も多く、大学のキャンパスのような雰囲気った。

国家科学委員会が開発(1990年代)

台湾の行政院の国家科学委員会が開発した。土地は賃貸だ。1995年時点ですでに180社(うち海外企業36社)が進出していた。従業員は約4万5千人と一つの都市を形成していた。

進出企業の1995年の総生産額は前年比68.5%増の約113億米ドルだった。国内シェアは、集積回路で100%、ノート型パソコンで42%、ハンドスキャナーで50%だった。存在がたいへん大きかった。

台南科学工業園区

ハイテク産業が新竹に集中しすぎると労働力の確保などで問題が生じる。このため、台湾の国家科学委員会は台南市の北にも先端工業団体エリア(台南科学工業園区)を開発した。1996年7月、第1期の工事が始まった。

国際貿易港の高雄港や高雄国際空港に高速道路で1時間と近い。新竹と並ぶハイテク拠点となった。

液晶モニター

台湾は液晶モニターで成功した。台湾が本格的に大型液晶に参入したのは、20世紀末だった。その数年後には、韓国ときっ抗し、世界のシェア(市場占有率)の4割弱を握る地位を築いた。

OEMから自社ブランドへ

海外メーカーへのOEM(相手先ブランドによる生産)で成長してきた台湾のハイテク産業だが、独自技術の新商品を自社ブランドで売り込もうという動きも出てきた。

BenQ(ベンキュー)の李錫華社長

世界第2位の液晶モニターメーカーであるBenQ(ベンキュー)は、2001年から自社ブランドの携帯電話や液晶テレビを展開した。2003年には売上高の3割に達した。李錫華社長は「独自技術の開発で、より高い機能の製品を作り、自前のブランドで勝負する。5年から10年でソニーに追いつきたい」と強気だった。

中国とのすみ分け

とはいえ、急速に技術力を上げている中国とのすみ分けは、だんだん難しくなる恐れがあった。台湾のその後の成長軌道は、台湾の企業が技術の優位性をいかに保っていけるかがカギとなった。